ベートーヴェン交響曲第8番 ブルーノ・ワルター/コロンビア響 Meyer NewMaster盤

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ベートーヴェン交響曲第8番が第9番とともにベートーヴェンの最高峰の交響曲であることは,偉大なブルーノ・ワルターの演奏のみを聴いている私からすれば自明のことなのであるが,「音楽評論家」といわれる人たちも含めてこの曲の偉大さを心底感じ取っている人たちは少ないと考える。そのことはすでに2008年12月(https://greatbrunowalter.seesaa.net/article/200812article_1.html)と2018年8月(https://greatbrunowalter.seesaa.net/article/200812article_1.html)に述べた。偉大な小説家のロマン・ローランですら,有名な著書「苦悩の英雄ベートーヴェンの生涯」で「第八交響曲においては,力はそれほど雄大ではない。しかしいっそう奇妙な作品で,彼の人間の特徴がいっそうよく現れている。つまり,悲劇と笑顔が,・・・たくましさと幼児の気まぐれとが混じり合っている」(角川文庫 新庄嘉章訳),と,私からすれば完全に的外れな評を書いている。これは,ロマン・ローランがおろかだったのではなく(そんなことはありえない),彼が聴いた演奏の指揮者が凡庸で,この曲の真価を理解しないままつまらない演奏をしたためであると考える。ベートーヴェンを心底崇拝していたロマン・ローランがブルーノ・ワルターの指揮する第8番を聴く機会が無かったことは気の毒としか言いようがない。

さて,Complete Boxに収められたMeyerチームによるNewMaster盤であるが,素晴らしいとしか言いようがない。これまで,LPレコードや次々と音質が改善されたということで発売されたCDでワルターによる偉大な交響曲の演奏に驚嘆してきたが,この偉大な演奏が数倍の素晴らしさを発揮して再生される。オーケストラ全体と個々の楽器の音色と生命力ははるかに輝きを増し,第7番までで悲劇的な運命に完全に勝利したベートーヴェンがその強靭な精神力と生命力を最初から最後まで放ち続け,われわれに力を与え続けてくれるというこの曲の本質と真価を,これまで以上に感じさせてくれる。各楽器とオーケストラが奏でる音は威力と深さを増し,音圧によりワルターの演奏のエネルギーが体と心に伝わってしびれる。4つの楽章すべてにネガティブな音は無く,とにかく更なる精神と生命力の高みに向かってひたすらに上り続ける強烈なエネルギーに満ちている。前の記事で「ベートーヴェンの強靭で不屈の精神性が凝縮したこの交響曲のすごさと,「形式美」を活かしつつもそれを突き破ってベートーヴェンの生命力・精神性をひたすら具現化したワルターの偉大な演奏」と書いたが,ワルター評論では自分が一番と思っていたのであろう宇野功芳氏が,結局最後までベートーヴェンの第八交響曲の意義とワルターの演奏の偉大さを理解できなかったのは,やはり気の毒としか言いようがない。

この記事へのコメント

珍野苦沙弥
2020年05月01日 13:44
CGCのたまごさま

どうもありがとうございます。
私にとっては「素顔の巨匠たち」という文献は非常に重要なもののひとつです。そこでギャスマン氏がインタビューで述べておられることには心が打たれ,また驚きもあります。録音ホールの関係で弦楽器群の数を調整せざるを得なかったということについても,参考になることを述べられています。「ベートーヴェンの「田園交響曲」のときのことです。それは最も美しいレコーディングに数えられると思うのですけれど・・・・ええ,素晴らしいでしょう。それがホールの残響のせいで,弦の音が大きくはねかえってきて,実際に演奏された瞬間より送れて聴こえ,私のオーボエがそれと合わせられなくて困ったんです。あの有名なスケルツォのメロディーでー。オーボエがそれと同じリズムをとるのですが,私はオーボエのパッセージを一小節先に進ませてみました。そうしたらぴったり合った(笑い)」。こういう事情で弦楽器群の数を調整するような工夫をしていたのが本質的な話でしょう。
 せっかくの機会なのでもう一件の逸話もここに記録しておきます。ギャスマン氏いわく,「彼はあまり細部を突っつくことにこだわりませんでした。ドヴォルザークの「新世界交響曲」をやったときのことです。木管に一人の欠員ができて外部から代わりを入れたんですが,第2楽章でイントネーションが正確には合わなくて,アンサンブルも乱れたんです。それで困っていたら,ミスター・ギャスマン,大丈夫です。音楽的な筋が通っていればよく,我々はそれを持っています。少しばかりの引っかき傷があっても,こんなに美しいではありませんか。ワルター博士はそういったんですよ。」。感動しますね。馬鹿な「評論家」たちは,そういう非本質的な引っかき傷に気づけば大騒ぎして,「統制力がない」などと天に唾することを平気で言うのです。こういう愚か者たちは相手にしても仕方ないです。音楽を聴く能力が全くないのですから。
最後にギャスマン氏はこう述べておられます。「今の若い指揮者たちはこういうふうに解釈に信念を持っていませんね。全体のバランスの感覚が忘れられてしまって,部分だけが磨かれている。それは音楽的なファンタジーがないところの粉飾であろうと私は思います。」。私は完全にギャスマン氏に同意します。
ではまた。
CGCのたまご
2020年04月30日 19:41
追加いたします。

ベートーヴェンやモーツァルトの時代の弦楽器の人数を、コロンビア響は守っていると思います。
これはワルターの意図ではないかと思います。
ベートーヴェン時代の弦楽器の人数で演奏しながらも、今流行りの悪趣味みたいな古楽奏法をとらずに、真のベートーヴェンを現した、人類の宝物だと思います。
CGCのたまご
2020年04月30日 19:31
大変有意義な資料を紹介してくれまして、誠にありがとうございました。

バート・ガスマン氏の見解は大変貴重ですね。

ワルターの遺産は永遠に不滅です。ありがとうございました。
珍野苦沙弥
2020年04月30日 14:48
CGCのたまごさま

わたしも平林復刻盤のライナーノートでロサンジェルスフィルでの録音であることを知ったですが,それはブルックナーの9番でしたね。やはり確認するのが面倒だったもので,いい加減でしたが,7番だったような・・・という程度で書いてしまいました。すみません。
珍野苦沙弥
2020年04月30日 14:44
帰ってきたウルトラマン様,CGCのたまご様

いつもコメントをありがとうございます。昨日コメントに対する返答をした後,不正確なことを言うのはよくないと思い,二つの文献(週間FM編「素顔の巨匠たち」音楽の友社,およびエリック&ペチェフスキー著「Bruno Walter」)を確認してみました。両文献とも,巷の誤解あるいは嘘を消去するうえで重要と思うので,以下に紹介してみます。
 コロンビア響についてですが,ギャスマン氏もコロンビア響のメンバーだったので,(若林氏も含めて)他の人の見解よりもギャスマン氏の言うことで十分と思います。それによれば「コロンビア・ステレオ・シリーズのためにオーケストラができたとき,半分くらいはロサンジェルス・フィルハーモニックの楽員で,その他はフィラデルフィア,シカゴ,ニューヨークなどのメジャー・オーケストラにいた人たちを集めたんです。作曲家でもあったワックスマンとワルター自身が奏者を選びました。40人から50人くらいの編成でした」ということで,そこらへんのミュージシャンを寄せ集めたのではないかというのは悪意のある嘘です。ギャスマン氏は「こういうレコーディングが行われたのは,ワルター博士が余命いくばくもないと考えて家族に多くのものを残したがっていたということがあったようです。使用するオーケストラの人数が少なければ,それだけ経費が少なくてすみますし,そして指揮者の取り分が多くなったなどという事情もあったようです。その編成はベートーヴェンの時代にさかのぼったものといえますね。こんな場合でも彼は素晴らしいユニークなテクニック,・・・才能が大いに発揮されたわけです。」と述べているので,帰ってきたウルトラマン様の指摘されたのはこのことでしょう。同時にギャッスマン氏は,「彼はオーケストラのバランスをとるのに,ほんらいのスコアのままではうまくいかないとみれば,ある声部をとってしまう,また人数を倍にふやす,ということまでしました。彼の使っていたスコアは,バランスを得ることや作曲家の意図したところを再現することなど,その方法を見るのには絶好の材料なのです。」と述べています。このことと,エリック・ライディング&レベッカ・ペチェフスキー著の「Bruno Walter」(和訳版は高橋宜也訳ものもあり)でも紹介されている,マックルーアの録音会場についての言及,「ほぼすべての面で理想的だったが,ホールの大きさと響きのために,オーケストラは,特に弦楽器セクションは,少し縮小しなければならなかった」,を考え合わせると,指揮者の取り分を多くするために弦楽器セクションを減らしたというのは下衆のかんぐりで,録音会場での響きをも考慮したバランスの関係で弦楽器群を減らした方がよい効果が得られると判断したのだと結論されます。そもそもこのステレオ録音はワルターが自分の財産を増やすために企画されたものではなく,CBSからワルターにこの企画の打診があったときに,「ワルターは初めはステレオ方式がモノーラル録音に及ぼす「脅威」をよく思わなかった」とのことで,東海岸のプロデューサー,デイヴィッド・オッペンハイムに「これまでの年月に行ってきた私たちの成果は,現代のステレオ方式によって価値が下がったということでゴミ箱行きなのでしょうか?」と問うているくらいです(エリック&ペチェフスキー著「Bruno Walter」)。それやこれやの後,「自分が後に遺せるもの(念のために言うと,お金のことではなく自分の再生芸術のこと)を増やす機会がもてるのはありがたかった」と考えるようになったとのことです。おろかで知性の無いやからは「遺せる物」というのは「お金のことだ」と言い換えて騒ぐのでしょう。スコアの書き換えや楽器パートの増減は,巨匠指揮者の特権で,マーラー,トスカニーニ,ワインガルトナーも普通にやっていたことです。最高峰の指揮者達の洞察力,能力,自信,勇気がない凡庸な指揮者達には想像もつかないことでしょう。楽器編成の調整はロサンジェルスでの録音のときだけでなく,ニューヨークフィルを使ってのマーラー「大地の歌」の録音のときにも行ったそうで,「ワルターはオーケストレーションを部分的に薄くし,ホルンは4本ではなく2本にして(もう2本が重ねて吹くだけの場合),ヘフリガーの軽い声とマーラーの大編成のオーケストラトンバランスがよくなるようにした」(「Bruno Walter」より)とのことです。弦楽器を減らして取り分を増やしたというのは,もう一度言うと下衆のかんぐりとしか言いようが無いですね。
以上が私の見解です。ではまた。
CGCのたまご
2020年04月30日 10:56
ワルターが「ロサンジェルス・フィルやグレンデイル交響楽団のメンバーたちに、全米各地の様々な人材を加えた混成臨時チーム」ではなく「ロサンジェルス・フィルそのもの」を使ってコロンビア交響楽団名義で録音したのが判明しているのは、ブルックナーの第九(1959年11月録音)です。平林氏のブルックナー第九のCDに細かい記述があります。ワルターはこの録音の直前にロサンジェルス・フィルとの演奏会で録音の数日前に、ブルックナーの第九を演奏していました。
他にも「ロサンジェルス・フィルそのもの」でコロンビア交響楽団名義で録音されたものが存在する可能性も、十分あると思います。

尚「混成チーム」の」弦楽器の構成人数は、
モーツアルト(第一バイオリン8、第二バイオリン6、ヴィオラ4、チェロ3、コントラバス2)
ベートーヴェン(第一バイオリン10、第二ヴァイオリン8、ヴィオラ6、チェロ4、コントラバス3)
ブラームス(第一ヴァイオリン12、第二ヴァイオリン10、ヴィオラ8、チェロ6、コントラバス4)
ワーグナー、ブルックナー、マーラー(第一ヴァイオリン14、第二ヴァイオリン12、ヴィオラ10、チェロ8、コントラバス6)
という編成であるということです。(平林氏のベートーヴェン第九のCDにマックルーア氏から直接聞いた資料として掲載されていました)

誠に失礼いたしました
珍野苦沙弥
2020年04月29日 15:15
帰ってきたウルトラマン様

いろいろ面白い話をありがとうございます。メータはコントラバスですか。アバードといいメータといい,若かりしころは面白いことをしていたものだと感心します。嶋譲氏のことは全く知らなかったのですが,ステレオサウンドでワルターの演奏を紹介しておられたというのは,やはりワルター熱愛ということなのでしょうね。ギャスマン氏がそういっておられたのはたしか週間FM編の「素顔の巨匠たち」に載っていたインタビュー記事だったでしょうかね(見ればすぐわかるのですが)。オーケストラの編成については曲によって違うのではないでしょうかね。CBSやプロデューサーサイドの意向もあったでしょうし,ブルックナーの7番だったか,完全にロサンジェルスフィルで録音したものもあるようですし,特に詳しく調べたことはないですね。ワルターがそのメンバーでよいと判断し,実際にあのようなすごい演奏となっているので,私にはそれで十分ですが。以前読んだ覚えのあるワルターについて書かれた文献を,後で探しても見つからないこともあり,忘れていたこともあり,で,色々教えてもらえると助かりますね。だいぶ前に時間つぶしに本屋で立ち読みしたカフカの日記だか随筆だかにワルターのことが書かれているのを発見したことがあります。それには,たしか「あの小男が本当にさっきの演奏をしたのか。天才か。」というような記述だったと思いますが,数年してからもう一度それを見たいと思って本屋や図書館でカフカの著書を片っ端から調べたことがありますが,ついにいまだにその文献に再会していないです。では。
帰ってきたウルトラマン
2020年04月28日 20:50
メータ氏がコントラバス奏者として録音に参加したのはマーラーの9番の時です。若林先生から直接聞きました。他にも録音セッションに参加していたらしいのですが、確実なことは分かりません。
何年か前にステレオサウンドという雑誌に嶋護さんという人の連載でワルター&コロンビア交響楽団、ニューヨークフィルのステレオ盤を大きく取り上げられたことがあり、コロンビア交響楽団のメンバーの個人名が何人か書かれていました。
嶋護さんは、それまでは、てっきりジャズの評論家だとばかり思っていたのでワルター&コロンビア交響楽団のCDを取り上げ、しかも様々な事情を詳しく紹介していて驚いたことがあります。ワルターやジャズの他にも松田聖子さんの復刻CDなんかも取り上げているところを見るとあらゆるジャンルの音楽に精通しておられる方のようです。イスラエル ベイカー氏はコンサートマスターでしたね。ストコフスキーの指揮でストラビンスキーかなんかのコンチェルトをソリストとして録音していたかと思います。さっきの嶋護さんの連載にバード ギャスマンの説としてコロンビア交響楽団の弦楽器の人数が何故少ないかについて「ワルターが娘さんに少しでもお金を残してあげたいので、指揮者の取り分を多くするために弦楽器の人数を減らしたのではないか?」とギャスマンの説を紹介しています。同じ文章の中にマックルーアの公式見解も紹介されていて「弦楽器の人数が少ないのは録音会場内のステージが狭かったからだ」とマックルーア氏は述べておられますが、ハイドン&モーツアルトのハイブリット盤にあるブックレットの写真を見るとステージの上でらなく客席の椅子を取り払って客席の平土間で演奏している様子から見てギャスマン説の方が事実に近いのかな?と思いますが、ブログ主樣は如何思われますか?
珍野苦沙弥
2020年04月28日 18:02
CGCのたまご様

書き込みをどうもありがとうございます。ベートーヴェン自身は,第8番が偉大すぎて大衆が理解できないから7番のほうが好まれるのだ,言っていたと何かで見ました(確認していません)が,本当ならベートーヴェンの言ったことが正しいと思いまね。この曲の偉大さを具現化したのはワルターの演奏だけなので,それ以外の演奏を聴いた人たちには「偉大な第7と第9に挟まれた,ベートーヴェンが息を抜いた交響曲」としか聴こえないでしょう。Complete Boxに収められたMeyerチームによるNew Master盤のすごいのは,アナログ的な雰囲気を損なわずあれだけの音を出していることで,おっしゃるとおり,これ以上望むべくもない盤と思っています。
 おろかな「音楽評論家」達が,コロンビア響について,音楽雑誌等でネガティブな方言を撒き散らしてきたので,それを真に受けている音楽愛好家も少なくないと思いますが,ワルター自ら行ったオーディションをパスした演奏家たちで構成されたコロンビア響が,すぐれた奏者たちで構成されていたことは演奏を聴けば明らかですし,記録からも証明されていますね。アバードとメータがモーツァルトのレクイエムの合唱に入りこんで歌っていたというのはアバードのインタビュー記事で知っていましたが,メータがコントラバス奏者としてコロンビア響に参加していたというのははじめて聴きました。どうもメータはワルターを崇拝していたのかもしれませんね。確か,ワルターの生涯についての著作でも,メータがワルター宅を訪問したようだ,という記述を見ました。いずれにしても,ワルターが,録音のときだけ集まるコロンビア響を非常に短時間にあれだけの偉大な演奏をするように変えたというのは,驚異としかいいようがないです。
 では,CGCのたまごさまも引き続きどうぞお元気で。
CGCのたまご
2020年04月28日 11:28
いやはや、帰ってきたウルトラマン様がおっしゃってくだっさっているように、この演奏はワルターが「ロサンジェルス・フィルやグレンデイル交響楽団のメンバーに、全米各地の様々な人材を加えた、ハリウッドのコロンビア交響楽団」を指揮して録音した演奏の、記念すべき第1号なのですが、さすが初めての録音だけあって、この演奏は「大マエストロの後世へのメッセージ」を伝える大事業を任されたオーケストラメンバーたちの、強い意欲とハッスルが聞き手にひしひしと伝わる、エネルギーに満ちた名演ですね。
強靱なエネルギーと生命力と情熱と、ほのぼのとした幸福感が完璧に同居し、この曲の魅力が120パーセント活かされていますね。
さて、このベートーヴェン第8のマイヤー版も、LP→マックルーア版→SBM版→DSD版、及び平林版の、それぞれの持つ長所を兼ね備え、それぞれの欠点を改善した名復刻ですね。

さて「ロサンジェルス・フィル及びグレンデイル交響楽団のメンバー以外にどんな奏者たちがいたのか」については、長年大変興味深いことでしたが、最近の資料を見るとヴァイオリンにイスラエル・ベーカー氏が参加していた他、ベルリンフィルのOBなども参加しており、さらにはフィラデルフィア管のOBやシカゴ響のOBなど全米各地の腕っこきが集まっていたことが、改めて明らかになってきました。ズービン・メータ氏がコントラバス奏者で参加していたという情報もあります。
また、この件について、若林俊介氏がワルター存命中について書かれた文章を最近入手いたしました。

「当時のロサンジェルス・フィルはB級オケに過ぎず、グレンデイル交響楽団に至ってはクラシックが専門外で下手くそ、これらのメンバーが中核であったうえに、寄せ集めでアンサンブルは雑、おまけに少人数で音が薄い・・・・・・」等という言い分は、人間の中のあるレーベル思考による思い込みの発想であると思います。

新型コロナウイルスの蔓延により「ステイホーム」が呼びかけられている今、自宅でワルターの偉大さをたっぷり堪能するものといたします。
珍野苦沙弥
2020年04月27日 18:11
帰ってきたウルトラマン様

このたびも貴重なご意見,大変ありがとうございました。わたしは以前も書きましたが,レコードもCDも全部手元においてあるのですが,コロンビア響・ニューヨークフィルとのステレオ盤はもう以前のものを聴くことはないですね。中古屋でそういうことになっているというのは初めて知りました。昨日,久しぶりに「The Best of Bruno Walter」として国内で発売されたオムニバスのハイブリッド盤をかけてみましたが,Complete Boxが届く前は「よいのではないか」と思った最初の「田園」のSACDも,今聴くと国内盤特有の作り物の音がして,すぐに聴くのをやめました。次のブログがベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲に関してなので,そこでも書いておこうと思っていました。ワルター/ウィーンフィルのBlu-rayスペック盤は確かによいと思いますね。良いと言うのは,音がより自然でその場で聴いているように感じることができる,ということと,演奏の本質的特徴がよく再生されていると思う,という意味ですが,帰ってきたウルトラマン様にはわかっていただけると思います。聴けば聴くほどワルターのすごさに感嘆します。MeyerチームによるComplete BoxのCDでコロンビア響やニューヨークフィルを指揮しての演奏を聴くと「至高の演奏だ!」としびれてしまうのだけれど,ウィーンフィルとの演奏を聴くと「やっぱりワルター/ウィーンフィルは別格だ!!」と感激したりして,(ウィルスパニックで暗い状況ではありますが)毎日感動しております。では,お互いにこの人類的危機に負けず,ワルターの演奏を聴いてがんばりましょう。
帰ってきたウルトラマン
2020年04月27日 16:53
この曲の第二楽章がワルターとコロンビア交響楽団とのステレオプロジェクトの最初の録音であることが今回のマイヤーチームによるマスタリング盤の
資料で明らかになりましたね。
この前、東京都内一時帰省した際、いつも行く中古レコード店に行くと95年のSBMリマスターによるワルターの39枚組のEU盤、韓国盤が大量入荷して売られているではありませんか。これはマイヤー盤77枚組を買った人達がマイヤーリマスターに満足して買い替えしてSBM盤を売りに出したと考えられます。ワルターの場合は私は何でもかいますが、他のアーティストの大全集などが出た場合はすぐに購入せず、中古屋ての動向を見てから購入するかどうかを判断します。中古屋に以前のリマスター盤が大量に出回るなら新しいリマスターは成功したと判断できますし、反対に新譜新しいリマスターなのに、すぐに中古屋さんで売りに出されているものはリマスターにあまり成功していないと判断して購入を控えます。今回のマイヤーチームによるマスタリング盤は77枚組の方は一組も中古盤がなかったから多くの方が良いと満足されたのではないでしょうか。一方、国内企画のハイブリット盤は発売早々中古屋に売りに出されているものが少なからずあったのが気になりました。ハイブリット盤はハイドン&モーツアルトしか購入していませんが、CD層だけを比較すると77枚組の方が音がナチュラルです。特に「プラハ」「リンツ」。一番親しいベテラン店員さんも私と同じ感想でした。ただ、国内企画盤のハイブリット盤には77枚組のブックレットにはない写真が掲載されているので、いずれは残りのハイドン&モーツアルト以外の5セットも購入するつもりです。
沖縄の名護市にはレコード店がないのですが、本屋さんの売場の一角にクラシックのCDが申し訳程度に置いてあり、その中に東京へ置いてきたワルター&ウィーンフィルのモーツアルト40&25盤のBlu-rayスペック2盤があったので購入しました。沖縄の地でしかも本屋さんでワルターのCDを見つけるとは思わなかったので、これも何かの縁だと思い購入しました。ヤッバリこの2曲はワルター&ウィーンフィルが最高だと改めて思いました。25番だけは同じ演奏がオルフェオからも出ていますが音質はソニー盤の方が良いと思いました。オルフェオ盤はクラウス&アイヒンガーのコンビのリマスター盤なので最初から期待してなかったけど。兎に角、リマスターする人達のセンス、見識によって名盤が生きも死にもするので、今回、アンドレアス マイヤー氏という見識のある方に復刻していただいて、我々リスナーだけでなく、彼の世のワルター先生も喜んでおられるでしょう。では、また。
沖縄名護市にて
帰ってきたウルトラマン

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