シューベルト交響曲第8番「未完成」 ブルーノ・ワルター/ニューヨークフィル (平林復刻盤)

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ワルターのシューベルト「未完成」はウィーンフィルとの録音はSPレコード発売時から有名であり,オーパス蔵からの復刻盤も大変素晴らしい(なぜかここに書き忘れていた).また,バイエルン国立管弦楽団を1950年10月に指揮してのライブ録音盤も素晴らしい(https://greatbrunowalter.seesaa.net/article/201110article_1.html).
ワルター/ニューヨークフィルによるシューベルト「未完成」についても当然レコードからDSD盤CDまでいろいろ聴いてきた(https://greatbrunowalter.seesaa.net/article/200702article_4.html).ステレオ盤についてはマックルーアによるニューリミックス盤のレコードおよびCD,あるいはDSD盤で満足してきたが,オープンリール・テープからの復刻盤CDには心を奪われた.

これまでのレコード盤,CD盤のどこがどうということよりも,とにかくこの復刻盤から聴かれる演奏は,個々の楽器の音色もオーケストラの音も極めて自然で,札幌キタラホールやサントリーホールでワルターがニューヨークフィルを指揮しているような聴こえ方である.序奏部の低弦の音を聴いた瞬間から,「ああ,これが本当の音だったんだ!」と感じてしまった.音域,音の厚さ,エネルギー,力強さ,雰囲気,どれも自然で,演奏会場で聴いている気がする.しかし,これまで聴いてきたのがうそだったと思うのは違う.「この再生は実演に近いのか?」とという余計な気がかりが全く生じない,という言い方が最も近い表現か・・・.これを聴いていると,あらたなマスターリングとか,CD作成時の最先端技術など,本来必要無かったのではないか?と思える.ソニーには,偉大なワルターのマスター音源の保管・管理,および,録音したオリジナルの音でのワルター演奏のCD製作にがんばってもらいたい,と思うとともに,平林氏,オタケン氏,オーパス蔵の相原氏のような,優れた復刻盤製作を行っておられる方々に大いに期待したい.


ところで,このCDにはハリス・ゴールドスミスというアメリカのピアニスト・音楽評論家の「インスピレーションに溢れた指揮者への第一印象」というエッセイが添付されている.ワルター/ニューヨークフィルの演奏を聴いたとのことで,その印象を中心に書いてある.多くの聴衆が熱狂している中,彼としては納得できなかった演奏もあったようであるが,偉大なワルターの演奏を聴けたことだけでも自分の運命に感謝すべきと思って読んだ.しかし,一箇所,容認できないところがあった.彼によれば,「複数の関係者から得た情報では,アメリカへの移住を決した際にワルターが妻のエルザから・・・・演奏解釈をトスカニーニ的な早めのテンポ設定やきりりとした方向へ転換してゆけば・・・受け入れられやすくなるだろう」という意見を聞き,「どうやらワルターは,この有用なアドバイスは受け入れたであろうことは,その後の数々の録音でも明らかだ」と書いている.日本でも宇野功芳を中心にそのようなことを吹聴してきた評論家がいたが,なるほど出所はこういうところだったか,と分かった.これはまったくおろかな見解で,ある.ワルター婦人がそう言ったのかどうかなどは確かめるすべもないし,私も知るはずも無いので,そんなことはどうでもよいとして,ワルターのような偉大な大指揮者が他人のやり方を取り入れるなどということは絶対にありえない.ワルターが,自分が洞察した音をオーケストラが完璧に出すまで,ジェントルにではあるが絶対妥協しなかったことはウォルフガング・シュトレーゼマン,アイザック・スターンほかの数々の音楽界の中心的人物たちが口をそろえて言うことである.なぜまったく音楽に対するアプローチが異なるトスカニーニの手法を取り入れることがあろうか!「ワルターの手紙」の中でも,クレンペラーがワルターのリハーサルに乗り込んで,いちいち演奏についてクレームをつけたときには,リハーサルが終わった後に,個々にわたってワルターがクレンペラーに説明してやったことが書かれている.アメリカの音楽評論家だから,ワルターがアメリカに亡命する前にウィーンを中心としたヨーロッパで,どんなに激烈なモーツァルトやワーグナー,ベートーヴェンのオペラをやっていたのかを知らなかったのであろう.この音楽評論家自身,魂を奪われるワルターの演奏を聴いたことも書いているのだから,このような俗論を信じるとは度し難い愚か者と思う.私からすれば,宇野もそのようなものの一人だ.ゴールドスミスは,1951年以降は「この新たなアプローチを外れて,定型化された演奏に帰依していってしまったのは,老齢による栄華盛衰のなせる業なのであろうか」という文で締めくくっている.これもまったくの間違いで,音楽評論家としては0点の落第点である.ニューヨークフィルとの以前のモノーラル盤では豪快さだけが目立ったが,最近の改善された再生音では,コロンビア響との演奏と大きな違いが認められず,ニューヨークフィルもワルターのオーラで完全にコントロールされていたことが分かる.このことはこのブログのどこかでも述べておいた.平林氏が復刻してくれたオープンリール・テープ盤でのワルター/コロンビア響の演奏は,これまでにも増して美しく,崇高で,気高い演奏であるとともに,勇壮・雄大で壮大な演奏であり,あらゆるネガティブなものをなぎ倒して突き進む,神のような演奏(このような言い方をワルターは好まないだろうが)であり,われわれに本質的な生きる力を与えてくれる.ブルーノ・ワルターによる偉大な作曲家の作品の演奏録音は,これまでそうだったように,現在も未来も至宝であり続けるだろう.

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